140文字では書ききれないこと。
苦しみは本人にしかわからない。
ほんの些細な喜びも本人にしかわからない。
SNSが当たり前の今、知識自慢をする人もいれば今日のごはんはこれ!だとか早く帰りたい〜だとかぼやく為に使う人もいる。ナンパに使ってる人もいるよね。
私はいわゆる普通の生活ができなくなり、入院することとなった訳だが本当の閉鎖病棟は外出許可なんてもらえないだとか携帯電話も持てないとか、そんな言葉が飛んでいた事を知ってしまう。
しかしそれは患者それぞれの障害の症状により基準が変わるものです。
本当のってなんだろな?
鍵をかけられた空間にいるのは事実。毎日息苦しいのも事実。
私が嘘を付いているのかな、との錯覚に陥る。
私はこの生活を始める前、始めたばかりの時もだが、とてもつらかった。生活のリズムも環境も空間も全てが変わる。
変な話、白玉あもとして知り合った人との付き合いが多かったから本名を毎日人に呼ばれること、本名を名乗る事にすら違和感がハンパなかった。
その中で自分のiPhoneを持たせてもらえたことは大きな救いであった。
彼が一緒に選んでくれた色のiFaceのケースに私が好きなセーラームーンのリングをつけたりステッカーでデコっていたり、いつも持っていた物が取り上げられてしまうことが怖かったから、それはとてもうれしかった。
34歳にもなった女の自撮りばかり、くだらないかもしれないが、それを載せることで反応してもらえたりその服がかわいいだとか言ってもらえると自信がついたり
メイク方法が知りたいってリプ来たときは『私たいしたことしてないのにいいのかな・・・』なんて思いながらも私もリプ返して、ありがとう、やってみる!って言葉が返って来たときはこーいった私でも役に立てるんだってわかった。
そして、このiPhoneがあったから、みんなと今でも白玉あもとして接していられるんだ。
病院のことに限らずだけど
本当の◎◎はとか本物の◎◎はとか言う人は自分が一番なんでも知ってるとか、もっとすごいの知ってるって言いたいんだろうけど、毎度どうしてそうしたがるのかがわからない。
音楽やプロレスなんかもそうなんだけど、昔のを観てきた人が凄いとか、歴史を知ってる人が偉いとか。ありがちよね・・・
私は音楽のジャンルに詳しくないもののいろいろなライブにも行くしプロレスも観戦するが正直歴史とかジャンルとか覚えらんない、技の名前やルールすらよくわからなかったりもする。
ただ、楽しいから行く。
感動したからまた行きたくなる。
それで良くないか?
白玉あも