そわそわしゅわしゅわ So what?
考えたくもないことで頭の中がいっぱいになったり、今いる私とは違う私が現れてしまったり。
困ってしまった。困ったよ。
バランスを整えるには薬が必要となり。だけどもなんだろ、じっとしてらんない、副作用。
落ち着かせる為にはまた新たなクスリ。ああ完全なるメンヘラ。1番なりたくなかったタイプのお薬依存型メンヘラに私は30代半ばでなってしまったのだ。
11月26日。
じっとしてらんない限界がきて、動いてないと気持ちが悪くて気持ちが悪くて。じっとしてらんないついでに珍しく部屋の模様替えなんてしてみた。
今の家に住みだして2年とちょっと。はじめての模様替え。大きなベッドやドレッサーを移動。力仕事?なんか大嫌いなのに、夜な夜ながんばっちゃってさ。なんとか朝方には終わることができ、体力を使った疲れのおかげでよく眠ることができた。
11月28日
部屋の模様替えって不思議なもんで、何か大きな物を捨てたわけではないのにベッドやソファーの置き方によってはスペースができる。
このスペースにゲージを置いて、私はモルモットと生活をすることとなった。
名前は そわそわちゃん。飼う前から決めていた。オスでもメスでも そわそわちゃん。
そわそわしゅわしゅわSo what?
だからどうしたどうなってんだ
台湾生まれのまだ小さなモルモット 。白とベージュのつやつやの毛に、ピンク色の鼻先、つま先。かわいい。
小動物がとても好き。犬、猫も好きだけれど、小動物の警戒心強すぎなところがたまらなくかわいくて好き。
私が飼い主だっていうのに、近づくとザザッとダッシュでゲージの中の隠れ家へ逃げる。
名前を呼ぶと、固まる。なんなの?笑
それでもだいぶコミュニケーションをとられるようになり、最近はブランケット越しではあるが抱っこもさせてくれるよ。
ごきげんなのかなー。歌ってるみたい。
私のような、なぜ生きてるのかわからない人間にはありがたい存在だ。
この子が毎日健康に生きていられるように、私は狂ってなんかいらんない。生活リズムを整えたり仕事をしたり、と頑張るのだ。
大切なペットや、大好きな人、私を好きでいてくれる人。
生きてる意味がわからなくても自分自身を大切にはできなくても、自分を必要としてくれてる存在がいるかいないかでは大きく違うね。
必要とされることは、とてもうれしい。生きたくなる。
しらたまあも
最高で最悪。最低で最悪なんだ。
なにから書き出したらいいのかわからないくらいにずっと更新していませんでした笑
退院してからはやはり自然と時間の流れがゆったりしたものではなくなり、いくら予定を入れずに引きこもっていようともなんだか心がそわそわしていたり、ゲームとかやっちゃったり、友達とLINEのやりとりをしてみたりで、病室でのあのまったりゆったり自分を見つめ直す時間の過ごし方というのは、簡単に出来そうでなかなか困難だなということがわかった。
もちろん更新するのが面倒くさくなったのも理由の1つだ。
簡単に前回の更新以降の私というものを表すと退院後の心穏やかな平和からの一転、またももう生きたくなんかない位にめちゃくちゃに壊れたり人に迷惑をかけ傷付けたりもした。
失くしたものは取り戻せない、そんな気持ちにも陥った。
酒と薬の相性は最高で最悪。
不安を消してくれて気分がいい私、だけど同じ空間の同じ時間を過ごしている人間たちはどうだろう。
きっととてつもない迷惑だったと思う。
最低で最悪なんだ。
お酒も薬も切れたとき
現実を知り、
もう、だめだと、思った。
だが薄れていくよなものでも完全に消えてしまうことはなく、むしろ私の願いが通じているかのように「充実した時間」も過ごせるくらいになってきた。
ここのblogには閉鎖病棟へ入る前に、私の出来事や思いをありのまま書き表していこうと思い作った訳なのだが、けっきょくは幸せだなと感じるものが増えてしまうとなかなか開かなくなるんだということもわかった(笑)
とはいってもやはり毎日を無駄に過ごしていたと思いたくはないから前回の更新が「2017.07.27」なのでそれ以降のことを書いてみる。
8月は出所祝い(退院なんだけどね笑)で集まってくれた人たちがいた。
なおちゃん、ユダ様、せくしーさん、田実くん、ケンタロくん・・・
みんなで楽しく過ごした。この日の夜はとても暑くて、お酒が美味しく感じてね◎
この日一緒に過ごした友達だけじゃないけれど、30過ぎたからなのか今回の入院を機になのか、友達というものの考え方も変わった。
長く一緒にいた友達はなにより大切って思っていたけれど私の大切なものや心を害するような人とは一緒に居られないよ。
私がわけわからなくなった時、目を覚ましてと怒ってくれた友達もいた。ムカついて殴り合ったけどその友達もやはり大切で。
そんな友達関係で、ただただ私の大切なものをズタズタと砕いてしまうような言葉を投げつけてくる人とは離れることも決心した時期だった。
いつかぶりのデスマッチ観戦。
あんなに腕を切るのが止まらなかった私が、デスマッチをみてひぃひぃきゃーきゃーした。
心の乱れで甘えて自傷している自分たちとなんか比べ物にならない。
命かけて、家族や応援してくれる人たちのために体を張って、血まみれなのに楽しませてくれて、、、
とても素敵。
この日やっとローリングクレイドルさんの『後楽園ホールのレモンサワーT』を着て、聖地へ行けたのが嬉しかった。
よく会う人たちも、このTシャツ着てて。
あ、黒もやっぱかわいいなぁとか思ったりしてさ。
楽しかったなぁ。
9月にはロリカルト教集会をルビールームさんでやらせていただき、たくさんのみんなが来てくれました。
ふぁりちょん こと照沼ファリーザちゃんとゆるゆるトークしたり、私が20代の頃から知ってるツヨッシーがアコースティックライヴをやってくれたり、
きゃりーちゃんばあばらちゃんがたくさん個性的でかわいいアクセサリーを売ってくれたり。
佐々木孫悟空さんがお祝いで虫喰いしにきてくれたり、
お仕事でもないのにロフトの田実くんが手伝いにきてくれたりうちの社長のフクダさんもカメラ回しにきてくれたり・・・
ルビールームさんからも振る舞い酒を提供してくださったりでほんと楽しかったー!わあい。
また何かやらせてもらえたらうれしいです。
で、またやらかしの日々・・・
なかなかこうなると元の感覚に戻れなくなって自分が嫌になってゆく。
それでも、ぐらんぐらんしながらでも毎日なんとか過ごしていたら楽しみにしていた旅行の日じゃん?!くらいに思っていた。が、私がこんなんだったから旅行計画すら怪しくなってしまい、更にまた、落ち込む。
退院してから調子が良かったから料理もまた始めるために包丁買ったのに、錯乱し家で包丁振り回し棚がザクザク、電気コードも切り火花が飛び散った。
自分が全てをダメにして、壊している自覚があるのに、止められないし修復の仕方がわからない。
ほんとにただただ、時間を戻せたら、と何度も思った。
旅行当日。待ち合わせ場所へ向かい、ひたすら待つ。不安しかない。不安はどんどん大きくなってけっきょく持っている薬全てを飲み◎◎駅で倒れ運ばれてしまった。
大丈夫ですか?
お名前は?
なんさいですか?
こうひたすら声をかけられていた。
私は頭がぼーっとする感じと呂律がまわらなくなっていたのとで思うように喋らんない状況になっちゃってたので、ぶっちゃけうるさいな笑と思ってしまった。そっとしといてくれよ、寝かせてくれ、と。
でも何度も何度も声をかけられて、私は薬でラリっちゃってるながらに駅員さんたちにキレてしまい、帰る!と脱走してタクシーに飛び乗った。自宅まで1万円以上かけての帰宅。
タクシーを降り自宅マンションの自動ドアまで数歩なのに電柱に思い切り頭をぶつけ倒れた。
もう旅行なんか行けないんだろな。でも悲しいとかそんなんじゃなかった。
自分のコントロールができないことが何よりも悔しくて、コントロールさえできていたら旅行はいけなくなったとしてもこんなダメ人間で居ずに済むのだから。
と思っていたら連絡がとれた。
私はまだ頭がぐらぐらしながらも伊豆方面へ1人で向かった。
何度も電車を間違えたりタクシーに乗り換えたりで時間もお金もものすごくかかってしまったのだけども。私、ばかだから、彼と旅行できるならって思うと嬉しくて嬉しくて。
やっと合流でき、花火大会には間に合わなかったけど、おいしいごはを食べることができた。
わあい。わあい。
おいしいごはんを一緒に食べる時間。今日めちゃくちゃだった自分が嘘かのようにニコニコしておいしいおいしいって完食した。
次の日は行きたかったシャボテン公園。
前回行った時に買わずに後悔したカピさん。
すごくかわいいよ。
ディナー食べてバータイムでお酒飲みながら話して、夜中は星空見て、露天風呂にも入ったりして
しあわせでした。
3日目はテディベアミュージアムに寄った。となりのトトロ展も開催していてテディベアやらトトロやら、とにかくかわいいかわいい世界観。
そのあとは
つり橋を渡ったり
なんかすぐ足滑らせたら落ちて死ねそうな所だったなぁ。
死ぬー死んでやるーとか言ってた私なのに、さすがにこわい〜とか脚カタカタ震えて、、、矛盾。
旅行は改めて思い出して見ても、行けて良かった。この旅行中は薬も飲まず過ごせた。楽しかった。SNSも気にならずピリピリしなかった。
この日以降、もちろんすごくしんどい気持ちになる日もあるし、ワッと爆発しそうになる日もあるけどわりと落ち着いている。
腕は切っていないし、お酒を大量に飲むこともなくなった。
薬の飲み方もうまくなった。と思う。
このままもっとおだやかに
過ごせたら
過ごせるように努力しないと。ね。
脱出報告。
入院前にとある先輩に、入院生活のメリットとデメリットを聞いていたのだが、本当にその通りという感じだ。
やっと自由になれたというのに、たった1ヶ月程度のあの生活に慣れてしまい、これからの毎日がとても不安。
閉鎖された病棟で生活している時は、外へ出たいなぁ、誰かに会いたい、お酒がのみたい、夜更かししていたい、とかもやもやとしていたのに
自由になってしまうとそれはそれでこわくて。 つまりそれだけ護られていたし窮屈ながらも安心して過ごせる環境だったのだなぁ。
私はやはり一歩外へ出ると自分を壊したくなるということも改めてわかった。
退院して真っ先に向かったのは、昼間からビールを飲めるお店で、合わせて処方された薬をのんで頭がぐらぐら。手首もすでにたくさん切りました。一気に元どおりです(笑)
だけどどこか落ち着いています。
以前のように大声出したり暴れるということはなくなった。ただ体力が落ちているだけかもしれないが。
入院してる間にずいぶんと髪の色が明るくなってしまった気がするので暗くしました。
そういえば前回美容院へ行ったのは私がめちゃくちゃになりだす前なんだよなぁ。
自分の大切さや生きている意味は相変わらずよくわからなくて。だから必要とされていたいし必要だと言ってくれる人がいると「ふむふむ、消えてしまってはダメなんだなぁ」とわかる気もします。
まるで他人事のような自分の存在価値。
脱出成功したからって自宅で引きこもってる訳にもいかず、役所に行っていろんな手続きしたり、治療は終わった訳じゃないから通院だってしないと。
そんな中でイベント出演もあるし、会いにきてよね。
ね。
8/3第3回『世界テレフォン・セックス選手権』 – LOFT PROJECT SCHEDULE
8/7『究極のペット〝巨大ヒル〟の飼い方&世紀の女体吸血まつり』 – LOFT PROJECT SCHEDULE
9/11『Death Culture Summit(デス・カルチャー・サミット)』vol.5 – LOFT PROJECT SCHEDULE
9/×ロリカルト教集会@都内某所
↑
以前、深夜に怪しげな集会を開いていたのですがなんと約2年半ぶりに復活します。今回はお仕事帰りに寄って安心の終電で帰れる時間帯。
情報解禁は8/1。
福沢諭吉と全くトキメキのない青春。◯◯交際。
いつもの入院生活の話とは別に、ふと思い出したことがあるので書いてみる。
◯◯交際。
うん、援助交際のことなんだけども。
学生時代は同級生たちと話していてもうまく馴染めずにいた。友達がいなかった訳ではない。むしろ色々誘われたりもしていたほうなのに、なぜか自分から壁を作ってしまいがちで。
そんな私は放課後、ストレスが溜まっていたのか校舎の向かい側の電話BOXからツーショットダイヤルに電話をかけて全く知らない大人たちと話をするのが癖になっていた。
だいたい繋がった瞬間から相手の男の人はハァハァしていて性的なやりとりを求められていたんだけど、時々ふつうに話し相手になってくれる人もいて。
あまりにも学校でストレスがひどい時は、お昼休みにわざわざツーショットダイヤルをかけに行っていたこともある。
初めて電話したのはいつだっけ?って思い返したら小学校の職員室横の公衆電話からかけたことを思い出した。
小学生でツーショットダイヤルデビュー(笑)
たぶん癖になっていたのは中学生の頃。
女性は無料なのでお金がかからず、顔を見られることもなく名前を知られることもなくただ受話器越しに会話してくれる人がいることはすごく嬉しかった。
そのうち家でもひたすらかけるようになっていて。ほとんどママがいなかったからひたすらツーショットで話して朝方に眠り、午後に起き、学校は休みがちになっていく。部活は好きだったから休まずに行ってテナーサックスをブンブン吹いて、暗くなったら帰宅してまた知らない大人たちと電話で話して。
そのうち携帯電話を持つようになり、ツーショットダイヤルで知り合った男性たちは「ここを通すと電話代が高いから」とか「切ったらもう二度と話せないしTEL友なろうよ」とか言う人がほとんどなので番号を交換する。
私の学生時代の携帯電話のメモリにはリアルな知り合いよりも声しか知らない男の名前ばかりが並んでいたよ。
まだその頃はLINEなんてなくて、メールだってやりとりにお金がかかったし電話も通話料がものすごく高かった。
高校生になりアルバイトをしたけれどやっと1ヶ月働いて手にしたお給料は、すぐにママの手に渡り
パチンコの資金となり消えた。
お小遣いなんてもらえてなかったし、パパからの養育費もママが使い込んでいたから、私ほんとに欲しいものを買えないし、ごはんすら冷蔵庫の中のものを勝手に食べたら怒られていたから自分で買って食べるしかなくて
でもその買うお金ってアルバイトしたお金ではやりくりできないからどうすりゃいいんだってよくわからなくなってね。
携帯のお金も払えなくなるし電話停まる・・・ってTEL友に話したら、じゃあ会おうよ、Hさせてくれたらお金払うよって言われて。
その人は相模原の人だったかな。
私もなんとなく東京に住んでることにしていたけど、会おうってなるとさすがに北海道のど田舎の私とその人が簡単に会える訳ないから
「黙っててごめんね、ほんとは私、北海道なんだよね」って謝った。
そしたら騙してたの?!って怒られたけど、でも電話で話せなくなるのは困るからって、すぐに携帯代を振り込んでくれた。
とても良くないことだけど、毎日バイトしてやっとお給料をもらってもママにとられてしまう生活よりも
電話で話し相手になってるだけでお金をくれる男の人たちがいる生活の方に変化していってしまった。
時々北海道の人とも知り合い、まとまったお金を先に振り込むから札幌おいでよ!あそんであげるよ!って誘われ、学校を休んで資金稼ぎに遠征していたこともある。
まあ会った人とは性的なことを求められたらしていたこともあるけども。
すごく心配してくれていた、とあるおじさんはそんなにガツガツしてなくて、それでも毎月必ず10万くらいずつ振り込んでくれてた。
で、あるときママに通帳見られて「このハシモトさんて誰?!なんでこんなにお金振り込んでるの?!」ってすごく怒られ打たれた記憶がある。
でもママはとてもずるくて、私は稼げる子って思ったらしくその時以来怒られたことも心配されたこともない。むしろ「ねぇ〜車ぶつけちゃったんだよね〜ママ困ってるんだ」だの「支払いが間に合わないけどママ仕事行けないからお金足りない」だの言って私に甘えるように変わっていった。
私もバカだから、
いつもママがいなかったり相手にされていないよりは、お金お金って言ってくるママでも私を必要としてくれているようで嬉しくて
おじさん達から振り込まれていたお金をママにも渡していた。
そしてママはそのお金を、やっぱりパチンコで一瞬でなくす。
そうしてそのうち、毎月10万振り込んでくれていた札幌のおじさんも余裕がなくなり奥さんにバレてしまい、私の携帯に「うちの旦那から毎月毎月金とって、あんたどこのだれよ!」って怒鳴られたので
「そうですか、すみません。私は根室の17歳です。」と答えると今度は電話の向こうでおじさんが怒鳴られていた。「根室の17歳が相手って・・・あんた何やってんのよ〜!!!怒」
未成年にして人の家庭を壊してしまった・・・
高校時代は思い返しても汚い記憶しかない。本当に嫌になる。
同級生たちと楽しく遊んだり
恋愛したり
青春なんてできなくて
どうやって話し相手を見つけるか
どうお金を稼ぐか、そのお金でどう生きるか
ほんとにそんな記憶ばかりで悲しい。
私に援助してくれていた大人たちが口を揃えて言っていた
「はなちゃん(私の本名)は、僕が相手で良かったね。お金くれるからって会ってみたら、乱暴されたり殺されたりも、無いとは言えないんだから。」
私は
「いつかそのうち殺されてもしかたないって思っているよ。生きていても親にすら大切に思ってもらえないの。お金渡さなければ会話もしてくれないんだよ。」
本当に本当に思い出すと嫌になる。
今も私は人に嫌われても仕方ないようなことをたくさんしてる。
だけどそんな私のことでも、好きとかおもしろいって言ってくれたりする人がいて
イベントをやると会いに来てくれる人がいて
似たような悩みを抱えた女の子たちがたまに手紙を書いてきてくれたり
幸せってなんだかよくわからないけど、充分私は幸せなのだと思います。
そんな私が出演するイベントが明日(7/14の24:30から)新宿ロフトプラスワンであります。
いつもはトークライブですが明日はステージからおりて一緒の目線でお酒飲んだりしながらお話しましょう。
『ヤリマン大納涼サロン!』 – LOFT PROJECT SCHEDULE
しらたまあも
140文字では書ききれないこと。
苦しみは本人にしかわからない。
ほんの些細な喜びも本人にしかわからない。
SNSが当たり前の今、知識自慢をする人もいれば今日のごはんはこれ!だとか早く帰りたい〜だとかぼやく為に使う人もいる。ナンパに使ってる人もいるよね。
私はいわゆる普通の生活ができなくなり、入院することとなった訳だが本当の閉鎖病棟は外出許可なんてもらえないだとか携帯電話も持てないとか、そんな言葉が飛んでいた事を知ってしまう。
しかしそれは患者それぞれの障害の症状により基準が変わるものです。
本当のってなんだろな?
鍵をかけられた空間にいるのは事実。毎日息苦しいのも事実。
私が嘘を付いているのかな、との錯覚に陥る。
私はこの生活を始める前、始めたばかりの時もだが、とてもつらかった。生活のリズムも環境も空間も全てが変わる。
変な話、白玉あもとして知り合った人との付き合いが多かったから本名を毎日人に呼ばれること、本名を名乗る事にすら違和感がハンパなかった。
その中で自分のiPhoneを持たせてもらえたことは大きな救いであった。
彼が一緒に選んでくれた色のiFaceのケースに私が好きなセーラームーンのリングをつけたりステッカーでデコっていたり、いつも持っていた物が取り上げられてしまうことが怖かったから、それはとてもうれしかった。
34歳にもなった女の自撮りばかり、くだらないかもしれないが、それを載せることで反応してもらえたりその服がかわいいだとか言ってもらえると自信がついたり
メイク方法が知りたいってリプ来たときは『私たいしたことしてないのにいいのかな・・・』なんて思いながらも私もリプ返して、ありがとう、やってみる!って言葉が返って来たときはこーいった私でも役に立てるんだってわかった。
そして、このiPhoneがあったから、みんなと今でも白玉あもとして接していられるんだ。
病院のことに限らずだけど
本当の◎◎はとか本物の◎◎はとか言う人は自分が一番なんでも知ってるとか、もっとすごいの知ってるって言いたいんだろうけど、毎度どうしてそうしたがるのかがわからない。
音楽やプロレスなんかもそうなんだけど、昔のを観てきた人が凄いとか、歴史を知ってる人が偉いとか。ありがちよね・・・
私は音楽のジャンルに詳しくないもののいろいろなライブにも行くしプロレスも観戦するが正直歴史とかジャンルとか覚えらんない、技の名前やルールすらよくわからなかったりもする。
ただ、楽しいから行く。
感動したからまた行きたくなる。
それで良くないか?
白玉あも
病室からこんにちは。34歳 自称アイドル 女性です。
病室からこんにちは。白玉あも こと 新宿区在住34歳 自称アイドル 女性 です。
前回の更新からだいぶたってしまった。
あれから毎日何をして過ごしていただろう。
病院には行っていた。
もう外へ飛び出て大暴れするようなことは無くなったけど、やっぱりどうしようもない不安感で夜中に大泣きするだとか、腕を切ることも日課のようにしていたし、太ももを殴ったりもしていた。
腕は傷だらけ、脚は痣だらけ。
毎日夏のように暑いのに涼しい格好ができなくなっていた。
入院は任意なので、したくなければしなくてもかまわない。
だけども一度環境を変えてみてはどうだろうか?そして通院するよりも集中して治療ができる。何かあればすぐに対応できる。
ということで話がまとまり日程を決めた。
私はどうしても6月18日に行きたいライブがあったのと、なんとなくキリがいいところで月曜からが良かったので
「入院は6月19日(月)からしましょう」ということになり、それからは準備をしたりたまに事務所に行ったりして過ごしていた。
私がツイッターで『キズパワーパッドを恵んでください』的なことを呟いたら、事務所にファンのみんなからたくさんのキズパワーパッドやお手紙、ほかにも文房具やお菓子やお化粧品、お花などが届けられていた。
みんなありがとう。正直ツイッターの名前と本名とが一致しない人もいたのでお礼のリプが飛ばせてなかったりもするのですが・・・
もしここを見ていたら
ありがとう✩
ごはんも1人では食べられなくなり、お腹は空くのに何が食べたいか全然わからなくて、悩んでるうちにもういいやってなってしまって。
なのでたまにフクダ社長と会ったら何か食べたり、友達と会うことがあれば何か頼んでもらってそれを食べるようにしていました。
しかし不思議と毎日コンビニかドトールでアイスカフェラテは買って飲んでいたな(´ー`)普段はそのまま飲むのに、一応糖分は摂ろうと意識していたのかガムシロップを入れて(笑)
6月17日(土)
そんなこんなで入院準備もなんとなく整え、週末。土日楽しく過ごして、月曜から入院がんばろーってな感じでこの日は流血ブリザードをみにルビールームへ出かけました。
空きっ腹というか、そもそも全然食べずの生活だったので、すーぐ酔っ払ってしまった。
久しぶりにみた流血ブリザード、とても良かった。かっこよかった、楽しかった。
前ほど出かけなくなったり、家でも無音で穏やかな日々を過ごしていたので(環境が。私自身は破滅的なことをしすぎていたが笑)刺激的なすごくいい夜だった。
セナちゃんとも写真撮れた✩
ほかにも小鹿さんとかと撮ったはずなのに保存ミスって消えていた・・・
この夜はゲロ酔いで、気付いたら近所の道で寝てたんだけど何者かに起されたので顔を見たらタイガーウッズ似の男性で・・・???
ほっといてよ!と言っても「心配だよ」となかなか目の前から消えてくれず、その人に向かってエアゲロ吐いたら逃げて行った。大量に飲んだ時は指なんか突っ込まなくても大きく息を吸えばゲロが吐ける。
吐くと酔いも覚めてきてすっきり。
鍵を出そうとトートバッグの中を覗くとメモ帳の切れ端が出てきた。
【ダニエル 090-××××-×××× ****@gmail.com】
たぶん先ほどの男性。いつの間にか連絡先を入れていたようだ。なんの迷いもなく集合ポストのゴミ捨て場に捨てた。
2:00頃帰宅。ソファで寝る。
6月18日(日)
いよいよ入院前日。目覚めは飲みすぎたせいもあり少し体がダルく、雨も降っていて気分が憂鬱気味。
彼から14時ちょい前には恵比寿に着くように行くね!と連絡があったが、私が思うように準備ができず『ごめんなさい、14時20分になると思う』と返信。
なぜか、なぜだか家を出られなかった。すでに14時15分(汗)このままじゃ全然ダメすぎる!と思いタクシーに乗り込む。「恵比寿までお願いします。」
『ごめんね。やっと今タクシーに乗ったからもう少し遅れてしまう。』とメール。
彼からは『じゃあ先入って物販みてていい?雨だしそのまま入ってきちゃって』と返信が。
「あ、運転手さん、リキッドルームまで行ってください」と行き先を変更した。
会場へ入り彼と合流。チケットを受け取り1階へ。さっそくドリンクチケットでレモンサワーを頼んで中へ。
久しぶりの大きな会場だからなのか、たくさんの人にびびっちゃって少し震えてしまい彼に捕まっていた。
照明が暗くなりmouse on the keysから始まる。
震えは徐々に収まり、音楽に集中できた。
Noshow、hellbent、そしてtoe、ENVYと。。。
目に見えて刺激的でストレスを吹っ飛ばしてくれるような音楽も好きだけど、心のどこか普段は閉じかけているような隙間隙間から全身に響き渡るようなそんな音楽をたくさん堪能できた気がする。
この夜はとても良かった。
まだ、小雨の中お互いに別々の傘を広げて歩く道。傘が大きいので距離間が少しさみしい。
入院したら食べられないもの食べとこうって言われて、でも私、何が食べたいのかわからない状態なの、と言うとしゃぶしゃぶは?と彼。
しゃぶしゃぶなら野菜もお肉も食べられるしいいね、と私。
温野菜へ行ったが、これから団体様が来られるので〜・・・と断られてしまい、さあどうしようって思っていたら赤から鍋があったので、天気も悪いしここにしよってな感じで入った。
思っていたより辛くて2人でひぃひぃいいながら食べた。
私はたくさん食べる人だったのに、すっかり量が食べられなくなり小皿に二杯とった分でお腹いっぱい・・・ケンタッキーの食べ放題だとか競い合ってた頃が懐かしい。
お腹が満たされ帰ろうとするも、あ、そうだ私電車乗れなくなってるんだ・・・って。
最近の移動はタクシー8割バス2割くらい。なぜかバスはがんばれば乗れる。でも電車はとてつもなく震えるし変な汗をかく、息苦しくもなるので無理だった。
駅や電車の中ではずっと彼の腕や肩やTシャツの裾を掴んでいた。
帰宅してしまうともう安心。落ち着きを取り戻し私はキャリーケースに荷物を詰め込む。
彼は前日の寝不足と疲れからかすぐに眠ってしまった。AM2:30過ぎには私もベッドへ。
おやすみなさい。
入院前は自分の過ごしたいように好きなことをして過ごせた。
1ヶ月は長いようできっと短く、だがいざ入院生活を始めてみるとまだ5日目が始まったところでやはり長い。。。
退院してまたライブ行って楽しみたいな。
音楽もお酒も、みんなに会うことも、目標の1つとして頑張ります。
こんなまいにち。
たくさんたくさん絵を描いた。たいしたものじゃないけれど、さくさくと泣きながら気持ちを紙に描き出して行く感じで。
ほとんどが悲しい顔の私で、さみしい言葉も添えていて。描き上がったらノートをやぶいて、また描き上がったらノートをやぶいて、、、の繰り返しで止まらなかったよ。
気付けば床にたくさんの紙が散らばっていたのでその写真を撮り彼へ送る。
朝がくる。
さっきの写真、気持ち悪かったらどうしよう。
気になりそわそわとしているので眠れるわけもなくソファーで転がってみたりベッドへ転がってみたり、落ち着かないでいたら返事がきた。
なんとなくメールのやり取りは秘密にしようかな。
ただ、『毎日毎時間大切に使って』の言葉が気になった。
毎日毎時間、誰かを想うことは無駄な時間?
大切に過ごすとはどういうことなのだろう?
わからなくってかさぶただらけの腕を掻きむしってしまった。
ここ数日、時間が経つのが遅いのか早いのか。よくわからないけどカレンダーを見るともう何日も経っていて。
だからといってひたすら深く眠った日もないし、忙しく過ごすこともやめている。ぼーっとしている時間が長いのか?
よく『暇だから病むんだよ』って言われていたから私それが悔しくて色々毎日忙しくしていた。それでも忙しくしながらも勝手に色々考えてしまって落ち込んだり不安になっていてもうどれだけ忙しくすればいいんだよ!って時期もあった。
そして、ここ数日は何年ぶりにこんなに家にいるの?というくらいゆっくり過ごしてしまっていて。
きっと本当にただの甘えとしか見えないよねこんなの。
だけど体がついていかなかったり心が落ち着かなかったり頭もぷすぷすとしているし
眠れることもない。
こんな毎日どうすれば。
なので入院は意味があるのかもしれません。
慣れるまではすっごくさみしくなるだろうけど。
ああまた今日も、朝がくるのか。